| 金剛庵HPでのブログ執筆をはじめて まだ1週間も経っていませんが…。 なかなかネタをどうするか 日々悩んでおりますw 鉄は熱いうちに打て…と ことわざにもありますように その日がなんの日なのか せっかく調べても 投稿が遅くなっては意味がないので なる早で書き上げられるよう スマホと睨めっこしております。 さて、今回はですね 皆さまをちんぷんかんぷんの世界に お送りしようと思いますw まずですね 5月13日生まれの著名人というと 皆さまはどなたを思い浮かべますか? 実はですね “福地源一郎”という方の誕生日です。 え、誰? という疑問は一旦横に放置しますよ。 某wikiさん情報にはなりますが “福地源一郎”さんは 天保12年3月23日生まれ。 もちろん太陰暦での表記ですね。 西暦(太陽暦)に直しますと 1841年5月13日生まれ…となります。 さて、この方はどんな方なのか。 実はすごい方です。 最盛期には かの福沢諭吉と 「天下の双福」 と並び称された傑物です。 “福地源一郎”は 幼少期から漢学や蘭学を学び 幕臣となってからは 英語やフランス語も学んで 幕府の外交部門で通訳として活躍。 海外で学んだ知見もあり 幕臣でありながら開国論を唱えたために 攘夷派からは敵視されてしまいます。 また、西洋視察の折に ロンドンやパリで刊行されていた 新聞に強い関心を持ったことで 大政奉還後に 『江湖新聞』(?!)なるものを創刊。 しかもその新聞内で 「明治維新というが、徳川から薩長に政権が移っただけ…」 と、新政府を痛烈に皮肉り まさかの筆禍第一号になりますw いやぁ…調べれば調べるほど 面白い人物なのですが 実はこの方、劇作家でもあるんです。 “福地桜痴”といって なんと今の歌舞伎座を立ち上げた 偉人だったりします。 それまでは幕府の認可を受けた 江戸三座(市村座・中村座・守田座)が 歌舞伎の劇場でした。 しかし、上記の西洋視察で 海外の立派な劇場を見てきたため 日本の演劇、劇場の前時代的な 雰囲気が気に入らない。 そこで、「演劇改良運動」を起こし 低俗かつ荒唐無稽な 歌舞伎を改革しようとしたんです。 それが歌舞伎の魅力なのに… と思う人も多かった時代。 あえて作品の時代考証をし 役の扮装を史実に寄せることで 歌舞伎をより高尚な演劇 引いては海外にも誇れる芸術へと 押し上げたかったんでしょうね。 しかしながら 史実を忠実に再現しようとすれば 派手めな演出や誇張された衣裳は無くなり その荒唐無稽さを好んでいた 観客からは総スカンを受けそうなのに この運動がなぜ受け入れられたのか。 否、受け入れざるを得なかったのか… その理由は単純明快。 後年【劇聖】と崇められる 随市川の成田屋“九代目團十郎”が この運動にまさかの賛同。 江戸時代を通し 河原乞食と蔑まれていた 歌舞伎役者の地位向上をも狙う “九代目市川團十郎”の願いは 明治20年(1887年)4月に 井上馨邸での天覧歌舞伎へと 繋がっていくのです。 残念ながら「活歴劇」自体は 観客の支持を得られませんでしたが (なんなら役者仲間からも不評というw) “福地桜痴”の作品として 今もなお不動の人気を誇る 演目が残っています。 「春興鏡獅子」。 歌舞伎といえば 長い毛をグルグルと振り回す そんな映像を思い浮かべる人も 多いのではないでしょうか。 最近では 十三代目市川團十郎さん 八代目尾上菊五郎さん 亡くなられた 十八世中村勘三郎さん等 錚々たる役者さんが熱演されてきました。 いやいや派手じゃん!活歴は?! …なんてツッコミは無しですよw 振れ幅が凄いだけです。 そもそも外国語の話せるお侍さんから 新聞社の社長や大蔵省の官僚 劇作家にジャーナリストに作家 さらには政治家までやっちゃう人です。 えーと…そんな訳で 今回は明治時代の偉人 “福地源一郎(桜痴)”さんを ご紹介させていただきました。 |
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