| 江湖源生が「不退転生前戒名位牌」を立てた理由 ■不退転生前戒名位牌に誓う後半生■ 〜死後のためではなく、今を生き切るために〜 金剛庵庵主・江湖源生は、すでに自らの 「不退転生前戒名位牌」を建立しております。 「まだ生きているのに位牌を作るのですか?」 そう尋ねられることがあります。 答えは、はい。だからこそです。 私は、戒名や位牌とは、本来、 亡くなった後だけのものではないと考えています。 もちろん、故人を弔い、魂を供養することは大切です。 しかし、それ以前に、 〜今、生きている自分は、何を誓い、どう生きるのか〜 それを仏前に定めることこそ、仏道の本義ではないでしょうか。 「不退転」という覚悟 仏教には「不退転(ふたいてん)」という言葉があります。 それは、 どれほど苦しくとも、仏道から退かぬこと。 迷い、病、絶望、人間関係、経済苦… 人生には、心が折れそうになる時があります。 修行者であっても同じです。 いや、修行者だからこそ、逃げたくなる夜があります。 それでも、 退かぬ。 誰に理解されなくとも、 結果が出なくとも、 孤独であっても、 自ら定めた道を歩み切る。 その決意を形にしたものが、 私の不退転生前戒名位牌です。 戒名は「死後の名前」なのか 私は、戒名とは単なる「死後の名前」ではないと考えています。 本来の戒名とは、 「どう生きるか」という誓願そのもの ではないでしょうか。 亡くなった時に立派な戒名を、 ご子孫が経済的負担を負っていただくことより、 生きている今、どんな人間として生きるか。 その方が、遥かに重要です。 私は、その誓いを曖昧にしたくありませんでした。 だからこそ自ら位牌を立て、毎日その前で勤行し、 自身に問い続けています。 「今日、お前は不退転であったか」と。 〜葬式のための仏教ではなく、生きるための仏教へ〜 現代では、仏教が 「亡くなった時だけ関わるもの」 になってしまった側面があります。 葬儀、法事、戒名… もちろん、それらは大切です。 しかし私は、 仏教とは“死後産業”ではなく、“生きる技法”である と考えています。 苦しみを抱えた時、 心が折れそうな時、 人生の意味を見失った時、 その人が再び立ち上がるためにこそ、祈りがある。 供養も、修法も、真言も、仏像も、 本来は、 「今ここを生き抜くため」 のものです。 真言密教役宝派が目指すのは、 そうした仏道であり密教そのものです。 最後に 私の不退転生前戒名位牌は、 縁起物でも、演出でもありません。 ましてや「死の準備」でもありません。 これは、 「生きる覚悟」 人生が終わるその日まで、 迷っても、倒れても、立ち上がり、 仏縁に恥じぬ歩みを続けたい。 その決意を、毎日仏前で確認するためにあります。 もしこの考えに共鳴される方がおられましたら、 金剛庵の祈りの意味も、少し感じていただけるかもしれません。 江湖源生拝 |
