5月10日は【母の日】でしたね。 きっと皆々様、各ご家庭でお祝いをしたり、あるいは“母親”について、いろいろと思いを馳せるいい機会になったのではないでしょうか。 さて、【母の日】といえば、毎年「5月の第2日曜日」とされており、諸説はあるもののアメリカで1914年に【母の日】を制定したことが、起源の一つとされています。 我が国でも独自に【母の日】を取り入れる動きはあったようですが、現行の形「5月の第2日曜日」で落ち着いたのは大東亜戦争終結後、アメリカの慣習に従ったのが初めだそうです。 ここでふと疑問に思うのは、なぜ今まで定着しなかった【母の日】が、戦後「5月の第2日曜日」で定着したのか…。アメリカの慣習に従っただけで、ここまで続くものなのか。 これは私の個人的な見解なのですが、戦後GHQにより日本独自の祝祭日の多くが名称変更を余儀なくされました。 その一例として、戦後11月3日は「文化の日」となり、日本国憲法が公布した日を記念し、“自由と平和を愛し、文化をすすめる”日となっています。 しかし戦前だと、この日は明治天皇の誕生日として「天長節」、大正時代には「明治節」と呼ばれていました。 明治天皇の遺徳を偲ぶために、国民が一丸となった結果として「明治節」が制定されたのですが、軍国主義の証左として廃止するだけならまだしも、“文化をすすめる”日として塗り替えたことには違和感が残ります。 本筋からは少し離れますが。 1946年1月1日に発表された官報に、昭和天皇の新年の挨拶として「新日本建設に関する詔書」、いわゆる【人間宣言】が掲載されました。 内容としては、これから日本が歩むべき戦後復興の道筋は、明治天皇が「五箇条の御誓文」で示されている通りだし、民主主義はGHQからもたらされるのではなく、すでに明治の時代から日本に根ざしている…ということが綴られています。【人間宣言】とされる部分は詔書の最後の方で少し語られるだけで、それも天皇は現御神ではない…と、普通に考えれば誰でも分かることが書かれています。 明治時代は、日本が西欧列強からの植民地支配を跳ね除け、自立自存のために大躍進した時代です。その時代の精神に立ち返れ…との御聖慮に、勇気づけられた国民は少なくはないでしょう。 さて、件の【母の日】についてですが。 「5月の第2日曜日」というアメリカの慣習に従ってはいますが、来年は5月9日が該当しております。 毎年違う日にちになる訳ですが、「5月9日」というのは、明治時代【地久節】と呼ばれておりました。 “天長節”は天皇誕生日、“地久節”は皇后誕生日を指す言葉です。 つまり「5月9日」は明治天皇のお后様である【昭憲皇太后誕生日】ということになります。 激動の時代、明治天皇を支え、文化・産業の奨励に務められた昭憲皇太后は、国民から国母として慕われていたそうです。 その証拠に、東京・明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后が主祭神としてお祀りされていますし、そもそも明治神宮の創建は国民運動が発端とされています。 それだけ、明治という時代に対する日本国民の思い入れが、当時は強かったということなのでしょう。 天長節も地久節も今や死語となり、かろうじて当代の天皇誕生日だけが祝日として残っている状況ですが、国民の祝日として休むことに主眼を置くいまの祝日法のあり方はどうかと思います。 まだ私が小さい頃は、旗日や祭日という言葉も残っており、その時々に考えさせられたものですが、はたして今はどうでしょうか。 余談ですが、昭憲皇太后が国際赤十字に寄付したお金が、今も世界最古の国際人道基金として残っているそうです。 終わりに…。 すでに、明治は遠くなりにけり…ですが、【母の日】を通じて、遠い先人の時代に思いを馳せてみるのも、たまにはいいんじゃないでしょうか? |
母の日


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