| お久しぶりの投稿となりましたが 皆さまは変わらずお元気でしたか? 季節の変わり目で 昼夜の寒暖差で体調など 崩されていませんでしょうか? 私はですね…崩しました(苦笑) 治りかけでぶり返すのが 一番面倒ですからね。 皆さまはくれぐれも お風邪などめしませんよう お気をつけください。 さて、今回のブログタイトルですが 【郷土史は奥深い】 と、題しております。 郷土史とはつまり 自分の生まれ育った場所の歴史 ということになります。 これを突き詰めていくと ご自身の家系図を遡っていき やれ武士の家系だの 名家名士の家系だのと 判明していく訳ですが 誰しもそういう出自があるとは 限らないものです。 豪農や豪商に辿り着けばいいものの 運が良くて庄屋さん あとは小作人…つまりはお百姓さん という方も少なくはないはずです。 個々人の歴史もまた 辿っていけば面白いものですが かつて自分のご先祖さまが 生きていた時代のことを知ることで ご自身のルーツであったり その土地に根付いた文化伝統を知る。 そんな縁(よすが)にも 繋がるのではないでしょうか。 では、今回は私の郷土史の一旦を ご披露したいと思います。 私が生まれ育ったのは 宮城県大崎市(旧古川市)にある 清滝という土地です。 旧古川市の最北端に位置し かつては清滝村、それ以前だと 廃藩置県後に複数の村であったことが 地元の郷土史で確認できます。 (もちろん某wikiでもw) さて、この“清滝”という地名。 主だった由来は二つあるそうです。 一つは、 仙台藩5代目藩主の伊達吉村公が、 避暑もしくは巡視のため山田村(当時の清滝の村名)に 立ち寄った際、滔々と湧く清澄な滝の水を見て、 「京都の清滝に似たり、この地を清滝と改めよ」 とお命じになったことが始まり…という説。 しかし、村民は以前より“清滝”という名称を使っていたとの説もあるんだとか。 この説の発端としては、時の藩主・吉村公の側用人を務めた松前氏が、 清滝村に鴻ノ巣館を構えていた跡もあるため、 避暑や鷹狩りで仙台を離れた際、この地に逗留したことで、 村の権威付けのために用いられた…と考えるのが妥当でしょう。 さて、もう一つの由来ですが、吉村公が立ち寄った滝… 今は不動の滝と呼ばれていますが、 この滝の清らかな流れから“清滝”と村民の間で呼んでいたことが始まりとされています。 単純かもしれませんが、こちらの方がしっくりきますねw やはり前者は、権威付け…藩主との繋がりを意識し過ぎた感じが否めません。 地名の由来にもなった“不動の滝”についても、触れておきましょう。 すでに名前からお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、 この滝の近くには不動明王が祀られています。 古くは修験道の修行の場にもなっていたそうで、 今も立派な堂宇が残っています。 この堂宇に祀られている不動明王は「身岳不動」と呼ばれており、 元は和歌山の熊野郡大峯不動尊の僧侶が奥州を行脚したおり、 この地を聖地と定めて不動尊を勧請したのが起源だとか。 その後、一度和歌山に戻ってからご本尊を運んできたのですが、 あまりにも石像が重く、途中で台座を棄ててきたため「身岳不動」となったそうです。 私としては、棄てられた台座の行方も気になるところですが…。 旧清滝村は複数の地区から構成されており、 その地区ごとに鎮守の森=氏神様が存在しておりますが、 やはり地名の由来となった“清滝不動尊”は、格別の存在と言えるでしょう。 私も幼少期からよく参拝しており 大変に馴染みの深い場所です。 観光地としては弱く 管理の面から地元民以外の参拝は あまり適してはいませんが 自然に囲まれた静謐な空間のなか 滝の音に耳を傾ければ 心も晴れる雰囲気を持っています。 あ、ちなみにですが。 ここの滝…小さいですw 滝行はできません。 でも良いとこですw と、まぁこのような感じで 地元の歴史を紐解いてみるのも 案外楽しかったりしますので 歴史好きな方は ぜひ参考にしてください。 |

宮城県大崎市 清滝不動尊

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